日刊現代(2009年7月号)は「韓国美人の陶器のような美肌は漢方化粧品に含まれている高麗人参の効果である。日本人の肌にも高麗人参が必要だ」と報道するほど高麗人参に対する関心や人気は時間が経つほど高くなってると思います。
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日本の体表的な人参である竹節人参があるのに、なぜ、高麗人参の人気は下がらないのか?
いつからこんなに人気だったのか、日本の文化に残ってる高麗人参の調べてみました。
仮名手本忠臣蔵が独参湯(どくじんとう)と呼ばれる
忠臣藏は、18世紀の日本江戸幕府で実際に行われた「赤穗事件」を劇的に移した作品です。
忠臣藏では、高麗人参が天下名薬として登場します。
死にかけていた人が借金をして高麗人参を食べて起死回生したけど、高麗人参のお値段が高かったせいで借金をしたまま返済できずに首を吊って死ぬという悲壮な内容です。
この話のせいで、高麗人参を食べ首吊りという日本のことわざまで出たと言う話もあります。
また、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)が独参湯(どくじんとう)に呼ばれる時もあります。
独参湯(どくじんとう)の意味は高麗人参だけを煎じた薬湯(やくとう)の意味です。
先ほどの話のように独参湯(どくじんとう)は起死回生の特効薬の意味があるもので、歌舞伎界や劇場が不況に陥ったとき「仮名手本忠臣蔵」を上演すると、
間違いなくお客さんが満員になるので、歌舞伎界と劇場にとっては今も起死回生の意味でつかわれてるようです。
人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)
元禄時代の日本は朝鮮との人参修交で膨大な量の銀が国から出され、日本内で銀が枯渇する事態が起きました。
この事により純度が低い通貨(元禄丁銀)を新たに発行するしかなかったようですが、銀の量が少なくなった元禄丁銀を朝鮮の高麗人参の商人達がこれを受けとらなかったようです。
朝鮮側から高麗人参の取引中止を通告されるようになりました。
優れた薬効で高価だった高麗人参は日本国内での栽培がとても難しかったため、幕府は銀座(中近世の日
最初から悪意で銀の純度が低い元禄丁銀を使わない事を前提に、復帰するという意味の言葉である往古を入れて人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)を鋳造しました。
德川禁令考
日本には、竹節人参(竹節人蔘)という日本を体表する日本人参があります。
これは、西暦1600年代に日本に帰化した淸国の医師の何欽吉という人が日本の山中で発見して使用するようになったと伝われています。
その後から高麗人参の供給が不足しているときは、竹節人参を高麗人参の代用として使用してきたそうです。
しかし、時にはこれを高麗人参だと嘘を言って売買することもあったようです。
幕府は、これを取り締まって厳しく区別して販売するようにしました。
高麗人参の不足を満たすようにするために販売禁止にまでは至らず、人参売買を幕府が印加した人だけが販売できる方法も利用したそうです。
その内容を公文書として高麗人参の商売人達に渡しました。
他にも偽薬種の取り締まりを厳しくした内容も書かれております。
もし偽薬種を売る者を申告すると賞給をして、違反者は厳しい処罰をしました。
偽人参販売により処刑された記録も書かれております。
1730年には、元四郞という者が桔梗を煎じるお茶の中に入れて人参だと騙した罪で鈴ヶ森刑場で処刑されました。
1928年8月小野某という人は偽人参を製造した罪で鈴ヶ森刑場で処刑されました。
他にも偽人参を作って売って人に対しては、人命に関することをお金だけ稼げばいいと言う悪質であると判定し、
おでこに入れ墨をいれて引きずりながら衆人にみせたと言う内容も書かれております。
公文書の内容
竹節人参と朝鮮人参と中国人参は混ぜて販売することを禁じ別の薬剤師(藥肆)で売るようにする。
竹節人参は、幕府が印加した人以外の売買を禁じる。
最後に
韓国でも、昔は外国で高麗人参を栽培したりすると重罪にだったと言う資料が残っておりますが、
高麗人参に対する日本の関心や管理がここまで深いとは考えられませんでした。
今回の資料を探しながら高麗人参って薬効だけではなく、みんなの厳しい管理からその名が名品になれたんだと実感しました。
日本で昔から厳しく管理してくれたおかげで正官庄もいままで大人気の健康機能食品になれました。
このような優れたものを皆様に紹介できる事が何より嬉しい事です。
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